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七月二十五日

  • 7月28日
  • 読了時間: 7分

更新日:8月10日

 背の高い雲にてっぺんが隠された山々、雨が少ないせいか控えめに流れる犀川からひかれる用水路を通って、豊科に広がる田に水が満ちている。穂はまだ青い。

 篠ノ井線田沢駅を降りて安曇野市美術館へ歩いた。午前九時台はまだ気温があがってないが、それでも強い日差しにさらされ暑い。


 望月桂展をみた。彼はいろんなことをやっていた。いろんなことをやるのだが、どれも長つづきしない。それがよい。絵はうまいがよい絵かといったらそうでもない。その微妙さが魅力ではある。ともかくいろんなものが彼を通して出てくる。そう、出てくる。絵だけではない。漫画を描いたり、アナキストやコミュニストと交流したり、アンデパンダン展やったり、飲み屋を開いたり、印刷業やったり、雑誌をつくったりした。晩年は美術教師として教育にたずさわりながら、絵の制作をつづけた。著作も、日記も、手紙も書いた。畑や田んぼ、庭もやった。仕事や生活が制作に結びついていた。彼の生は植物の枝葉のようにあらゆるところに伸び、繁茂している。

 望月桂が主催した黒曜会(1919~)は、宮沢賢治の羅須地人協会(1926~)を連想したし、晩年の農本主義は安藤昌益を想起した。晩年の農本主義者としての紹介にはのれなくて、若い頃のふらふらした感じによさを感じた。自分の食べるものは自分でつくるというのは個人的ならいいけれど、万人がそうすべき、というのには違和感があって、そもそも農業が文明のヒエラルキーの礎になったことを思えば、そういうことでもないというか。いいたいことはわかるが。でも歳をとって頑固になったかというとそうでもなくて、美術教師として女子高で学生と交流したり、生活、絵を描くなかでわりとやわらかいまま円熟していった印象をもった。農本主義はその一端であって望月の本質ではないのでは、ということも思った。とはいえ政治的な表現をするところが彼のよさでもある。とらえどころのない人物である。


 暑さにたえかねて松本駅で生中二杯と中瓶一本を飲んで、枝豆、なめろう、河豚皮ポン酢、生しらすを食べた。ほろ酔いでシンポ。松本アートセンター。


 足立元さんのレクチャー。気になったところは、望月桂の戦時中の振る舞い。展示ではあまり具体的に触れられてなかったのでシンポ後に個人的に質問した(展覧会カタログでは語られていた)。アナキストなのに残念ながら戦意高揚におもねっていたこと。それが晩年の明科での贖罪(といわれていたがそうなのだろうか)の生活につながり、新たな境地を開いていったとのこと。

 彼のように美術、芸術におさまらない、よくもわるくもやわらかい活動を美術史に組み込むジレンマについても聞いてみた。足立さんはジレンマはあると正直にいっていた。それでも美術史に残す意味があると思ったのだろう。足立さんは、美術という概念はいずれなくなって、芸術-アートが残っていくという(おそらく古代ギリシアのテクネー、ラテン語のアルスから連なる広い意味でのアート-生きるための技法が念頭にある)。芸術とは別のオルタナティブな概念の可能性についても質問してみたけど、足立さんはあくまで美術、芸術の枠組みの中で(それを使って)考えているようだった。


 白川昌生さんのレクチャー。美術、芸術かそうじゃないかなんてそもそもとても曖昧だということ。宇宙-自然、社会、個人の運動の流れ、生成として表現というものは生まれる、「発露する」ということ。安倍晋三の件については、クラストル『国家に抗する社会』や人類学のいくつかの本に書かれていた部族の例を思いだした。適してないと判断された首長は、その立場をおわれることになる。ワンダーフォーゲルとナチの話はいろいろなことにつながると思った。


 千葉真智子さんレクチャー。レクチャーのなかで「しないでおくこと」についての言及があったが、明らかにアガンベンから着想しているにもかかわらず、引用元が示されておらず、そういう自由はちょっと違うんじゃあ、などと思った(概念使用はフリーとするのはいいとして、先行研究に敬意が感じられないというか)。レクチャーの時間が短かったから、というのはあるのかもしれないけれど。たしか豊田市美術館の展覧会の本には書かれていたと思う。

 立場の異なるひとたちとどのように協働するか、イデオロギー、目的があると集団に軋轢が生まれる。無目的で、日常的な水平的な集まりの例の紹介がよかった。手芸の会など。


 個人的に面白かったのはアートマネージャーの安藤行宥さんが大学時代、格闘技、武道の研究をされていて、武術とナショナリズム、ファシズムの関係を指摘していたこと。シンポ後に質問した。武術がとらえる自然、身体の技法が国家に結びつけられ、国威発揚や兵士の育成に利用されるということ。自然と一体化、自然に為るための修業としての武術、その自然-身体が国家や民族に回収されるのはいつの時代もある。毛沢東の太極拳など。白川さんの健康の話――ナチズムの台頭と健康の話――と関連させて安藤さんは話されていた。あと沖縄空手についての話も興味深かった。薩摩藩からの圧力のなかで中国武術と土着の武術を掛け合わせ発展した、制度から逃れるための、抵抗としての武道。自然-身体はそれをどこに帰属させるかによってだいぶ性質が変わってしまう。


 シンポのあと白川さんと少し話した。うろ覚え。

 「望月桂の美術教師時代のダイアグラム。あの絵を描くことと美術以外の全ての教科や日常的な行為を結びつけて制作された図は、総合芸術的ですよね」とぼく。

 白川さん「あれバウハウスが同じようなことをやってた。ヨハネス・イッテンの授業を再現したイベント、前やっててね」

 「へえ、そうなんすねえ」

 「バウハウスは1910年代だからとっくに日本に来てたから影響はあったよね」

 「造形大とかすよねえ」とぼく。「シンポのなかで白川さんがいってた、宇宙、自然、社会と個人の力学の中で表現というのは生成される、発露する、みたいなことは、望月桂も考えてたんすかねえ」

 ……シュタイナーの話になって

 「そうそう1910~1920年代はドイツロマン主義みたいなのが復興するんだよねえ」と白川さん。

 「なるほど、自然信仰と表現が結びついていったわけすねえ」

 ……アスコナ、モンテヴェリタの話になって

 「それで最近太極拳とオイリュトミーの動きが似ているなあと思って。あれって自然とか宇宙への考え方や感覚を身体をとおして表現するから似てくるのかなあ」みたいなことをぼくがいった。

 それでなんの話題か忘れたが、松本市美術館の大島さん(その時は知らなくてあとで名刺もらって知った)もいて流れで「藤井風のお父さんがサイババ信仰者で菜食主義者だった」と白川さんがいって「へえ、そんなことも知ってるんですねえ」と大島さんがいって、「そういうのすぐ調べちゃうんだよねえ」と白川さん。ぼくがてきとうに「動きがそれっぽいですもんね」などといった(ぼくは狩猟をやるのだが、そのことには触れなかった)。

 で「ぼく今本書いていて、芸術より広い概念として制作というのを考えていて、その、いってみればつくるということと、自然っていうのと、生きることの関係を書いてるんで、原稿できたら送っていいすか? 感想ききたいす」とぼく。

 「うん、まあ、いいよ」と白川さんは、すごくめんどくさそうに小声でうなずいた。


 シンポ後、お酒と食べ物がでたのだけど、展示とシンポの関係者がおおい雰囲気で、なんかなじめなくて、紙コップ一杯ごいちワインを飲んで外に出た。

 気温はだいぶさがってた。高校時代すごした松本の街を懐かしみながらやってた野球のこととか、当時の友人、先輩、彼女のこととか思いだしつつぶらぶらして、パブでギネスをパイントで飲んだ。


 飲みながら松本アートセンターのことを考えた。ああいう美大予備校はいいなあと思った。ただ受験生でシンポに参加してたひとがいたのかはわからない。ちらほら学生っぽいひとはいたけど。

 シンポでアナキズムや自由について話してたのに、受験のための課題の絵をもくもくと描いている若者たちの姿がトイレにいくときちらっとみえてちょっと悲しくなった。予備校、大学時代のことを思いだした。保守的な制度にいらついてたし、従順な学生を憐れんでもいた。けど偉そうだった自分を思いだしてすぐに恥ずかしくなった。ぼくがいってた美大予備校の所長は変わったひとで、美術や芸術を疑うことを教えられた。ヨーゼフ・ボイスも知って、受験のための美術に冷めていったのだった。大学は適当に受験して受かって東京造形大の彫刻に入って、授業もろくに出ずに、いろんな場所にいったり本読んだり、もんもんとしてたなあ、といつの間にか乗ってた帰りの電車でうとうとしながら思ったのだった。


 
 

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