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十二月十五日

2025年12月15日
読了時間: 3分

更新日:1月28日

 杉田敦『芸術、失われた信頼をもとめて』(水声社)は具体的な本だった。にもかかわらず夢のような書物であった。抽象的な議論とは距離をとり、具体的なモノコトを考察しながら、書かれた時間や場所が往来する。個人的な紀行文でありながら読者とともに旅路を歩むような懐の深い批評文でもあった。書くこと、読むことは旅であることを思い出させてくれるものだった。

 安易な対立を生む意味での政治的であることに抗しながら、きわめて政治的であろうとする姿勢は一貫しており、それは弱く貧しい、虐げられている者たちへの配慮の眼差しに支えられている。またその寛容な視線自体の罪にも自覚的な態度は、純粋、潔癖なモダニズム的なそれとは対照的に、自らの不純で鈍感、享受的な在り方をも考えなければ何も考えられないといった反省的な誠実さによるものだろう。作品をとりまく環境、構造を含む批評を志向していることからもそれは明らかといえる。

 たびたび言及されている杉田氏自身の訳書であるフランコ・“ビフォ”・ベラルディ『蜂起――詩と金融における』(水声社)については、翻訳というおそらく困難であったろう旅路の痕跡として本書にも刻まれていた。わたしが『蜂起』を読んで感じたことの記憶が立ち上がってくる。金融資本主義を対象とした現状分析――文無し、負債、返済――その対抗手段としての「詩」――破産、破綻、まるでメルヴィルのバートルビー――。現状分析にはわたし自身の現状や経験からも納得したが、「詩」が具体的にどのような意味をもつのか、そのときはっきり理解した記憶はなく、漠然と共感したことのみを覚えている。

 杉田氏は、おおむね訳書の筆者同様あくまで言語表現としての「詩」、あるいは芸術における「詩」的な可能性のみを解釈の対象としていたが、もっと広い範囲の「詩」が含意されていることが読みとれる。「詩」とは大文字の秩序から逃れた自由な在り様のことだととらえることができる。あるいは、ステレオタイプな秩序とは別の、独自の秩序をもつ、ということもできるかもしれない。

 杉田氏が冒頭やあとがきで書いたように、創造の場は芸術にかぎられない。杉田氏はそのことを踏まえながら、あくまで「芸術」を対象とすることで、「芸術」の詩的な可能性の在処を探っている。杉田氏がそうしなければならなかったのは、「芸術」が彼に何かを与え、彼がそれを引き受けてしまったからに他ならない。

 杉田氏のこの本にはたびたび飲み屋の描写がでてくる。飲み屋は古くから中立地帯、アジールとしての性質があったことが知られている。そこに流れる自由な空気。彼らのほとんどはその場でしか会うことはない。飲み友達以外の何ものでもない。けれども飲み友達ほど自由な関係があるだろうか。ブランショやナンシーがいう目的をもたない共同体がそこにもある。また自由な対話(交流)にはバタイユがいう脱自、恍惚がともなう。ヨゼフ・ボイスは対話は熱彫刻であるといった。対話は互いの凝り固まった頭をほぐし彫刻する。リンギスの旅ですれ違うものたちの共同体。リンギスが影響を受けたレヴィナスの神的な「顔」。理解不可能な他者と理解できないまま共にいることの自由さ。そこにはもちろん敬いと配慮、倫理がある。杉田氏が企画したバーのプロジェクトもこういった飲み屋の自由さに依っているのだろう。

 この本に登場するすべての彼女ら彼らは生活を送りつづけていく。それぞれがそれぞれの生活を送っている。もしかしたらそこにだって「詩」はあるかもしれない。ランボーは詩を書くことを辞めても詩的な生から逃れられなかった。芸術というジャンルにおいてはもちろん、生きること自体が詩でありうる地平にわたしたちはいることを杉田氏の本はきっと示してくれてもいる。

 
 

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