top of page

七月十一日

  • 2025年7月12日
  • 読了時間: 1分

畑をがっつりつかう余裕がなかった。裏の家の方が使いたいというので、使ってもらっている。特にお金はとらない。草を管理してくれるし、できた野菜は届けてくれる。

前の家の方は、新しいトラクターを買ったのだが、置き場がない、車庫を使わせてくれなかいか、という。車庫には除雪機と耕耘機、薪割り機がおいてあるが端によせればスペースはある。貸した。特にお金はとらない。

まわりの家の方は、頼んでいないのにぼくの家の草を刈り、敷地内の山菜や果実を勝手にとっていく。

冬には除雪車が畑に雪を盛り、隣の家の家族が橇で遊ぶ。特に断りもない。

この場所では所有という観念が希薄だ。それがわずらわしいと思わなくもないが、それよりも、自分の「所有している」という観念の方に関心がむく。なぜぼくは、この家や土地を自分だけのものと思い込んでいるのだろう、という問いが、わずらわしさよりも前景化する。

そこには何か自由についてのヒントが、もっといえば自由そのものがあると直観しているのだろう。


小説の執筆がおおまかにおわり(とはいえ、直しつづけているが)、自分の生活と、放置していた本の原稿に注意がむいてきた。生活が変わる匂いを感じる。手元に置いたままの文献を読みはじめた。研究、執筆の再開の萌芽を感じる。

 
 

最新記事

すべて表示
十二月十五日

https://comet-bc.stores.jp/items/68ad113ea499223ff33c23e7  杉田敦『芸術、失われた信頼をもとめて』(水声社)は具体的な本だった。にもかかわらず夢のような書物であった。抽象的な議論とは距離をとり、具体的なモノコトを考察しながら、書かれた時間や場所が往来する。個人的な紀行文でありながら読者とともに旅路を歩むような懐の深い批評文でもあった。書くこ

 
 
十一月十六日

何かが髪に当たり手で払った。つぎに強烈な痛みが頭に走り、なんらかの虫が数匹集まり頭を攻撃してきたことがなんとなくわかった。しかも髪の長い箇所を避けて短い箇所を的確に狙ってくる。数か所刺されたところで手で眼鏡を弾いてしまい、眼鏡はどこかへ飛んでいった。しかし払っても払っても虫は攻撃をやめなかった。眼鏡はあきらめて家の中に避難すると――避難の勢いで網戸が外れた――、虫は(このときにはもう相手が蜂、しか

 
 
九月八日

八月は何をしていたのか忘れてしまった。忘れてしまったけれどすべて忘れたというわけではなくて、ほとんどといった程度のものだ。 長く暑い日がつづいていた。雨もときどき降っていた。そのせいだろうか。何もやる気が起きなかった。何もといってもすべてではなくて、本は読んでいたし何かしら...

 
 
bottom of page