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七月十一日

  • takashimorijiri
  • 7月12日
  • 読了時間: 1分

畑をがっつりつかう余裕がなかった。裏の家の方が使いたいというので、使ってもらっている。特にお金はとらない。草を管理してくれるし、できた野菜は届けてくれる。

前の家の方は、新しいトラクターを買ったのだが、置き場がない、車庫を使わせてくれなかいか、という。車庫には除雪機と耕耘機、薪割り機がおいてあるが端によせればスペースはある。貸した。特にお金はとらない。

まわりの家の方は、頼んでいないのにぼくの家の草を刈り、敷地内の山菜や果実を勝手にとっていく。

冬には除雪車が畑に雪を盛り、隣の家の家族が橇で遊ぶ。特に断りもない。

この場所では所有という観念が希薄だ。それがわずらわしいと思わなくもないが、それよりも、自分の「所有している」という観念の方に関心がむく。なぜぼくは、この家や土地を自分だけのものと思い込んでいるのだろう、という問いが、わずらわしさよりも前景化する。

そこには何か自由についてのヒントが、もっといえば自由そのものがあると直観しているのだろう。


小説の執筆がおおまかにおわり(とはいえ、直しつづけているが)、自分の生活と、放置していた本の原稿に注意がむいてきた。生活が変わる匂いを感じる。手元に置いたままの文献を読みはじめた。研究、執筆の再開の萌芽を感じる。

 
 

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