十一月十六日
- takashimorijiri
- 7 日前
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更新日:1 日前
何かが髪に当たり手で払った。つぎに強烈な痛みが頭を襲い、なんらかの虫が数匹集まり頭を攻撃してきたことがなんとなくわかった。しかも髪の長い箇所を避けて短い箇所を的確に狙ってくる。数か所刺されたところで手で眼鏡を弾いてしまい、眼鏡はどこかへ飛んでいった。しかし払っても払っても虫は攻撃をやめなかった。眼鏡はあきらめて家の中に避難すると――避難の勢いで網戸が外れた――、虫は(このときにはもう相手が蜂、しかも強力な毒をもつ蜂だということには察しはついていたが)まだついてきた。部屋まで頭を低くして逃げて予備の眼鏡をかけ、残りの二匹がどこかにいくのを待った。攻撃はやんだが、頭が猛烈に痛い。部屋のなかを探すと敵は窓の網戸にとまっていた。窓をしめてガラス越しにみると、それはスズメバチだった。おそらくキイロスズメバチだと思う。ずっと同じ箇所を殴られているような痛みが延々と続いていた。動悸は激しくなり、額から汗がにじみでていた。確認すると刺されたのは4~5か所。箇所にもよるが腫れてきていた。ひとまず医者にいかなければと、車に乗り医者へ急いだ。蜂に刺された場合、内科か皮膚科で対応できるとネットで知って以前手の荒れ(アトピーの再発)を診察室してもらった皮膚科にいった。肌の炎症を抑える薬と、痛み止めをもらい実家にもどって安静にした。アナフィラキシーのための検査は後日。
戸隠の家の玄関には以前から蜂の巣の跡があって、新しい蜂の巣ができていることにまったく気づかなかった。しかも数日家をあけていただけでとてつもなく大きくなっていたようだ。蜂に刺されたのが十月のはじめだろうか。彼らがもっとも攻撃的になる時期であることを後に知った。もう今は寒さで女王蜂以外は死んだ。女王蜂は土の中か木の中に潜り込んで冬眠する。来年また新しい巣をつくる。残った古い巣は、同じ蜂が使うことはないが、他の蜂が利用するケースもあるというから取り除かなければならない。けれども取り除く気はなぜかおきない。それがあまりにも立派で素晴らしいつくりをしており美しいとさえ思えるから、かもしれない。もう蜂はいない。ゆっくり巣を観察してみたい。玄関の蜂の巣はある種のゲン担ぎ的な考え方もあるようだ。幼虫は食べ、成虫も食べる地域もあるという。あるいは酒に漬ける。興味深いのは彼らの毒は刺されると効くが、口腔から摂取しても効かないということだ。彼らの毒はとても複雑な成分でできていてまだ謎がおおいとのこと。
集団猟のためにアマチュア無線3級の試験を受けた。資格のための勉強をするのは狩猟免許のときいらいで、狩猟免許のときは講習を受けただけだったから実質自分で勉強するのは学生の時いらいということになった(学生のときにはほとんど勉強らしい勉強はしなかった)。ぼくはe-ラーニングを受講したが、ともかく修了試験を受けるための条件をクリアすることだけを考えた。そのためにウェブサイトの各項目の中間試験を100点でパスしなければならない。教本をみながら答えを埋め、とりあえずすべてパスした。仮の修了試験もその要領でパス。試験会場が指定されている修了試験では教本はみることはできない。勉強する範囲をしぼって問題を解くことに専念した。まずは問題に慣れること。問題の形式はおそらく修了試験も同じだろうと判断した。間違えたらそこを覚える。これを繰り返す。内容の理解は後回し。問題を解くのを繰り返していくうちに内容に興味がうつり、教本を参照したり、調べたりして理解を深める。興味がわかないところはとりあえずスルーし、興味がわくのを待った。モールス信号などは最後まで覚える気がせず捨てた。
結果演習問題、中間試験の問題がほとんどそのまま修了試験ででた(最初からいってくれ……)から合格できた。どうせ基本的なこと以外は忘れてしまうだろう。自宅に無線局を設置する予定もない。知らない誰かと交信することにはいささか魅かれるが、実践するところまではいかないだろう。使用は集団猟のときのみでハンディの無線機に限られる。もう猟期がはじまった。今年はひとりでも何かとれるといいが。まあ過程を楽しむ。
二代目の車を九月に買った。実用性と走行性、趣味性を兼ねそろえた中古車を探してたが、どうしても気なってほしくなってしまったのが1994年製 vivio em(MT、パートタイム4WD、青)。スバルの旧規格の軽自動車で、直列四気筒エンジンと四輪独立懸架が魅力の30年前の旧車。スポーツグレードのRX-RやレトロモデルのBistro、オープンカーであるT-TOPなどが人気だが、ぼくは中級グレードのオーソドックスなモデルであるemを選んだ。価格的な判断はあったにせよ、あまりとげとげしたデザインは好きではない。スポーティなタイプではなく、ふつうっぽさを求めていた。それでいて走行性能がありデザインがよいもの。なおかつマニュアルで四駆、できればパートタイムなものを探してた。それが今の車なのだが、これがまた修理費がかさんでいる。まあしょうがないけれど、思った以上にかさむ。それでも気に入った車が手に入った。古くて希少で運転が楽しくて見た目が好みなのだからしょうがない。
これから少しずつ直していく。この歳で車の楽しさを知るとは思わなんだ。
車について知っていくといろいろと思考が広がる。制作についての考えと車がリンクして今書いている本にもそのことを加筆している。端的にいうと車に乗ることは読書したり執筆したりすることとと似ている。車の知識を深め、整備をすることは文章を修正すること、書くことに似ている。エンジニア、整備士とは言語表現の制作者と同じようなところがあるということ。このことと「自然ならざる自然」の生成について考えてみたいが、今はまだそこまでいっていない。
もうすぐチムニーファンがとどく。煙突にとりかかる。
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