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九月十一日

  • takashimorijiri
  • 2022年9月11日
  • 読了時間: 3分

更新日:2022年9月13日

 いろいろと一段落ついたのかどうかわからないが、つぎの段階に気持ち的にいける感じになりつつある。夏は早すぎるくらい早くすぎて秋がきて冬の準備をしなければならない。

 玄関の雨漏りは大まかにはふさぐことができ、だいぶ調子はいいが、大雨になるとまだ漏れる。はあ。

 畑は夏野菜がほぼ終わり、冬にむけて畑を耕し種をまいた。まわりのひとに急かされたということもあるが。「そろそろ播かないと間に合わねえぞ」

 そうか、そりゃそうだと、あわてて伸び放題の草を刈り、まわりのひとに刈ってもらい、なんとか間に合ったのかどうかはわからないが、ともかくやることはやった。しばらく雨が降っていたから水の心配はないが、これから晴れがつづけばせっかくでた芽が枯れてしまう。だからこうして実家でこれを書いてはいるものの悠長にはしてられない。明日は休みだが心配なので様子を見にいく必要がある。

 明後日は狩猟免許の初心者講習。罠と第一種銃猟の免許を取得する予定。はやければ今年中に猟にでることになる。

 冬の準備は、ひとまず暖をなんとかしなければならない。薪ストーブの設置、それから風呂もなんとか。

 冬を越したら、一年のサイクルがつかめると思う。このまま労働をしながらゆっくりやるのもいいが、いつまで経ってもそれじゃあきりがない。どこかでいけると思ったときにいかなければならない。つまり店の準備を本格化するわけだがまだいまじゃない。ひとまず生活を充実させ、その余剰でひとにふるまうようなイメージでいまはいるからだ。だからまずじぶんの生活をある程度満足のいくようにしなければならない。

 おそらくなぜぼくがこうしてぐだぐだやっているか、というのには資本主義へのあるいは金儲けへの違和感があるからで、けれども、ぐずぐず考えてみるに資本主義から逃れることはできないし、雇われようと、じぶんで何かしようと、金でなんとか生きていかなければいけない部分はあるわけだし、ようはぼくは金儲けをするじぶんになりたくないと思っていたようなのだが、じっさいには前述したとおり、無理なのだし、なんか不自由だ。だからいっそのこと一度金をじぶんで稼いでみればいい。今日そう思い立った。ようやくこれで店をじぶんでやる心づもりになった。けれども、いままでのぐだぐだが無駄だったかといったらそうかもしれないが、そうじゃないとぼくは思っていて、そのぐだぐだがなければいまの考えはなかったわけで、じゃあ、これこれこうだからこうした方が早いし賢明だよ、とひとからいわれて、はいそうですかということを聞くようなたちじゃないからこれでよかったのだ。じぶんでやってみて考えてなっとくしないと、じぶんでやるのはぼくには難しいから。

 手っ取り早く、金を借りて、補助金を申請する準備をはじめようと思う。手っ取り早く。



 
 

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