九月十八日
- takashimorijiri
- 2021年9月18日
- 読了時間: 1分
裏の家の方から、電話がかかってきた。
「庭の栗が大きくなってきたよ。そろそろとれるよ」とのこと。
たったそれだけのために、わざわざ電話をかけてくれた。
なんというか、うまくいえないのだけど、じゃあとらないと、という気になった。ちょっと嬉しかったのだと思う。
たとえば、ぼくが逆の立場だったら、同じように電話をかけられるだろうか。
「あなたの庭の栗が大きくなっています。そろそろとれると思います」と。
おそらく、できないだろう。
何か裏があるとあやしまれるんじゃないか、おせっかいなんじゃないか、鬱陶しがられるんじゃないか、と考えてしまう。
もしかしたら、ぼくはいままで、あまりにもつまらないことに、気をとられすぎていたんじゃないだろうか。
本当はいいたいことがあるのに、いったほうがいいと思うことなのに、つまらない理由をつけて、いわずにいたんじゃないだろうか。
そんなこと気にせずに、「あなたの庭には、大きな栗がなっています。それは、食べることができて、きっととても美味しいはずです。もうとれますよ」といえばよかったのかもしれない。
相手は喜んだのかもしれない。
でも、つまらないことにとらわれるのが、ひとの面白味なのだとも思う。
どうやって食べるのか、まだ考えてないけど、とりあえず明日は、栗をひろいにいく。
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