top of page

二月二十四日

  • 2024年2月25日
  • 読了時間: 4分

更新日:2025年2月28日


今日は巻き狩り(集団猟)だった。はじめての経験で興味深かいことがおおかったので記しておく。

朝9時に戸隠運動場駐車場に集合。ぼくは早めについてティモシー・モートン『自然なきエコロジー』を読んでいた。自然、環境(アンビエント)について認識論(彼はなんと二元論以外を否定、一元論はもとよりドゥルーズの量子性、東洋の曖昧性にいたるまで。けれども読んでいくとその主客二元論が「場所」という概念の分析のところから相互性をもって和らげられていく。それは相関主義とはちがう。一元論的な自然への「没入」は「美しき魂症候群」として唾棄される)から展開し文学、思想、批評、美術、音楽、社会、都市などにおける自然、環境を軽やかに横断、分析する手つきは示唆されるところが大きい。が、いささか思考、文体が堅い。

時間が近づくと続々と軽トラが集まり、各々がやがやと猟についてやらなんやら話している。ぼくは輪に加わったり加わらなかったり知人も少なく場なれしてない新米らしい振る舞いをしていたように思う。それぞれの話に聞き耳をたてたり、装備の観察など無意識にしていたように思う。気をつかって声をかけてくれた方もいて、へえ、いつの間に銃とったの、からはじまり、ヤマドリの猟場や猟の仕方、犬飼ったほうがいい、などアドバイスまでいただいた。時間になっても来ないひとがいるので待っていた。その間に猟友会の会長、副会長などが猟場を選定するために話している。

全員揃い、輪になると会長の挨拶がはじまり、猟場の選定、作戦の説明、役割分担が行われる。服装、装備のせいもあってか、総会のときはただの飲んだくれのおじさんらしきひとたちが、とても頼りになるどっしりした柱のように思えたから驚いた。

猟場にむかい、無線をもっているひとを軸に配置につく、山の尾根にだいたい50mずつ間隔をあけて勢子(声をだして獲物を追い立てる役)が並ぶ。周辺の畑には小動物、猪、鹿の足跡がたくさんあり、雪の上に道をつくっている。勢子が追い立て、斜面の下で待つ撃ち手(タツ、タツマ)が仕留めることになる。となりのひとのほーい、ほいほいの声を真似てぼくも声をだし、山をくだりはじめる。野球をやっていたころを思い出した。声をだすことで気合いをいれる、士気をあげる、雰囲気を盛り上げるなど理由があったと思うが、顎を動かすと集中力が高まるらしくそういう効果もあったみたい。だったら、ガムを噛んでればいいと思うのだが。

斜面は急で、雪のせいもあってか滑りやすいため大変危険だった。獣の痕跡はあるが、姿がみえない。ゆっくりと下るように言われてそのつもりだったのだけど、声をだしながらだからか気づいたら下にくだってしまっていた。

待ちのひとに聞くとカモシカと鹿、猪がみえたが包囲から抜けていったとのこと。獲物はとれなかった。その後、もう二か所いったがだめだった。目撃はあったのだが、いずれも射撃する間を得られなかったとのことだった。けれども声をだすことで獲物を追い立てられることや、作戦のある程度の読みはあたっていることが確認できた。それからいかに山の地形、樹木やその山に住む動物の習性を知っているかが結局のところ動物とのかけ引きをする上で重要だということが痛切にわかった。獲物のほうがはるかに勘が鋭く感覚(特に聴覚と嗅覚、難所を素早く逃げることができる蹄のそれ)も敏感で、何より山のことをよく知っている。いい経験になった。


集団猟自体は先史時代から行われていただろうが、巻き狩りと称されるものが歴史上でてくるのは鎌倉時代だという。大規模な軍事演習をかねた猟で、有名なものに富士の巻狩りなどがある(wiki調べ)。猟と軍事の親和性は以前書いたけれども集団猟をしてみて改めて実感した。作戦立案、役割分担などシンプルな軍事の様相にも近いように思う。最近だとドローンを使った狩りなども行われており、戦争でのテクノロジーの運用と相似形をなしている。このことは引き続き考えていく。





 
 

最新記事

すべて表示
十二月十五日

https://comet-bc.stores.jp/items/68ad113ea499223ff33c23e7  杉田敦『芸術、失われた信頼をもとめて』(水声社)は具体的な本だった。にもかかわらず夢のような書物であった。抽象的な議論とは距離をとり、具体的なモノコトを考察しながら、書かれた時間や場所が往来する。個人的な紀行文でありながら読者とともに旅路を歩むような懐の深い批評文でもあった。書くこ

 
 
十一月十六日

何かが髪に当たり手で払った。つぎに強烈な痛みが頭に走り、なんらかの虫が数匹集まり頭を攻撃してきたことがなんとなくわかった。しかも髪の長い箇所を避けて短い箇所を的確に狙ってくる。数か所刺されたところで手で眼鏡を弾いてしまい、眼鏡はどこかへ飛んでいった。しかし払っても払っても虫は攻撃をやめなかった。眼鏡はあきらめて家の中に避難すると――避難の勢いで網戸が外れた――、虫は(このときにはもう相手が蜂、しか

 
 
九月八日

八月は何をしていたのか忘れてしまった。忘れてしまったけれどすべて忘れたというわけではなくて、ほとんどといった程度のものだ。 長く暑い日がつづいていた。雨もときどき降っていた。そのせいだろうか。何もやる気が起きなかった。何もといってもすべてではなくて、本は読んでいたし何かしら...

 
 
bottom of page