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五月二十三日

  • 2024年5月23日
  • 読了時間: 1分

 庭の木々の枝をきり、草を刈った。生垣のとがの木や、庭に生える梅や松をカットする作業は、絵画や彫刻をつくったり、小説を書いたりする作業とまったく同じ感覚なのだと最近ようやく確信をもって思うようになった。自然-生-制作についての本を書いていて、理論的な枠組みができはじめた影響がでている(それらもまた木々の繁茂のように)。

 店のコンセプトが固まりつつある。いままでやってきたことのすべてが収束して一つに、一つでありながら複数のものにまとまりつつある、ばらばらなままに。

いずれ、この「狸の茶釜」の説明文に転記されるだろうそのコンセプト文は、コンセプトでありながらコンセプトなどないようなもので、おそらくいままで誰も考えたこともやったこともないことなのだと思ったが、実はいろいろなところでもうすでにおこなわれていることであって、別に特別なことというわけではない。

 事故をきっかけに、生活の編成が変わりつつあり春だなあという感じがしている。今年は楽しみなことがおおい、どうなるかはわからないがそのことの楽しみ。

 
 

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