四月二十四日
- takashimorijiri
- 2022年4月25日
- 読了時間: 3分
肥料をまき、畑を耕した。
畑には、小さな雑草がところどころ。場所によっては無数に。堆肥をまいておいたところは比較的おおい。効果らしきものがみられた、ということにしよう。
雑草は小さいうちはまだいいが、おおきくなると厄介だ。土の栄養素を吸ってしまうし、除去するのが大変になる。
若い芽をつむ、というたとえはうまいなあと思う。雑草は若いうちになんとかしなければならない。あるいは芽吹くまえに対策をしておかなければならない。
けれども管理機のロータリで一二度耕したくらいでは雑草は朽ちない。また雨が降れば、いくら根がぬけても、多少きれぎれになっても再生する。除草剤をまいたとしても、また新しいものがでてくる。
そのたびに作業をすることになるのだが、では雑草が生きのびるためにはどうすればいいのか、と今日ふと考えたが、畑以外の場所にいって自由にやってもらうのがてっとりばやい。
雑草を殺さずに野菜を栽培する方法もあるようだが、それはそれで胡散臭くも少し文献などを読んだり試してみるとして、基本的には、ふつうの栽培方法をおこなおうと考えている。そのためには雑草をある程度退けておかなければならない。
野菜だってもともとは雑草だったわけで、それを人間が品種改良を重ねていまのすがたになったのだ。たまに、畑になっている野菜、あるいは果樹をみると、ああ奇形だなあ、と思う。明らかに「不自然」な造形と、立ち並び。その異様な規格の一致と整列具合をみると、思わず、うっ!となってしまうときもある。というか人間がなんやかんややるまでは「並び」というものはなかったわけで、それはペットにしても家畜にしても思うことだが、だからといって、別にそういうことが悪いとか正しいとかは「頭では」思わない(そんなこといったらなにが「自然」かなんてぼくにはわからない)し、感覚的にだって、それほど嫌悪感があるわけじゃない(ぼくは平然と野菜を食うし、家畜も食う)。そのことに慣れてしまっているだけ、ということかもしれないが、それはそれでそういうもんだ、といちおうなっとくしている。
それとは別に管理するのはめんどくさくもあるし、手をかけて何かを育てることは快をともなうこともある。管理されるのは嫌なときもあるけど、助けてもらったり守ってもらったりしたほうがよいことはある。ようはケースバイケースと塩梅なのだろう。
堆肥と肥料が土になじむまで、少し時間をおく。そのあいだに種芋を切って、風通しのいい日陰で干しておくもの、切って乾かさないで植えてみるもの、そのまま植えてみるものにわけてみるつもりでいたけど、めんどくさくもあるのでやるかわからない。草木灰をつけるものとつけないもので効果がどうちがうかも試してみたいがやるかわからない。また明日考える。メークインとキタアカリ。
畝幅60~80cmで高さ20~30cm(溝から遠いので、水はけをよくするため、高さを意識した)。雑草と病気が心配だが、黒マルチをかけないつもり。かけるかもしれないし、かけるところとかけないところでわけるかもしれないが。土質は水はけがよくやわらかい。黒くて火山灰土っぽく、腐食はおおい感じ。余裕があれば土壌測定してみたい。
近所のこどもが自転車ではしりまわり、作業しているぼくにこんちわ、とあいさつをする。ぼくもこんちわ、とあいさつをする。
明後日トイレがとどく。

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